柔道・塚田真希は現在監督業に就任!結婚してるのかも調査

アスリート

今回は柔道家の塚田真希さんについてご紹介します。

塚田真希さんといえば、アテネオリンピックやロシアの柔道大会「グランドスラム・モスクワ」などの金メダリストとして有名な方ですよね!

そんな彼女、2010年に選手を引退されているのですが、現在は主に監督業を中心に活動されているみたいですね。

塚田真希さんの現在のお仕事やプライベートについて(結婚してるのかんいついても)見ていきましょう!

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塚田真希のプロフィール

生年月日: 1982年1月5日
出身地: 茨城県下妻市
身長: 170cm
体重: 125kg
階級:78kg超級
段位:四段
愛称:ツマキ・つかちゃん

塚田真希さんは中学時代から柔道を始められています。

驚くことに、中学に入る前は柔道ではなく絵を描くのが好きだったため美術部に入る予定だったそうですが、先輩の勧めで柔道の世界に入っていったそうです!

中学時代は顧問の先生があまり厳しくなかったということもあり、それほど目立った成績ではなありませんでした。

しかし高校に進学してから柔道の稽古が本格化。

塚田さんが進学したのは土浦日大高校というスポーツ名門校で、寮生活を送りながら柔道の稽古をするというストイックぶり。

先輩が上下関係に厳しかったということや暴言もあり、心が折れそうになる厳しい環境下で1年目は実家に逃げ帰ってしまうこともあったそうです。

体育会系は現在でも厳しさが残っていますから、昔は今よりもさらに酷かったでしょうね。

しかし偶然練習を見学に来ていたOGの柔道家・斉藤紀江さんから

逃げてばかりで楽しい?もう少し自分と向き合ってみたら?

と言われたことをきっかけに、心を入れ替えて本気で柔道の稽古を再開されたそうです。

大学時代の活躍

その結果、全国高校選手権で1年では3位、2年では優勝、さらに3年ではフランスジュニア国際や金鷲旗高校柔道大会、全日本ジュニア柔道体重別選手権大会で優勝するという素晴らしい成績を収めました。

2000年に東海大学に入学し柔道部に入部。

大学時代も学生優勝大会や国際大会で優勝を飾るなど華々しい活躍を見せるのですが、12月に開催された福岡国際大会でキューバ人選手に敗れた時は2位でした。

その時の試合で当時監督だった吉村和郎さんから「デブ」といった暴言を連呼されており、のちに塚田真希さんは試合後に大泣きされたそうです。

後のインタビューでも「悔しくて涙が止まらなかった」と語っていました。

試合でヒートアップしたとはいえ、試合と関係ない暴言は最低ですよね…。

当時の監督・吉村和郎さんといえば、女子柔道選手への暴力問題や助成金の不正受給などの問題が報じられており、柔道関係者の中ではイメージが最悪な人物として有名です。

塚田真希さんが暴言を吐かれたのはこういった問題が明るみになる前の出来事ですし、相手が監督ということもありますからい活かせませんし、本当に辛かっただろうとお察しします。

大学時代は海外の選手に負けることが多く、彼女にとってはスランプに陥っていた時期だったそうです。

しかし、当時亡くなった父親からの

弱気は最大の敵だから、とにかく強気で頑張って自分の柔道をしなさい

という言葉を思い出し、自分なりに柔道を頑張ることにしたそうです。

無理をして自分にプレッシャーを掛けるとかえって逆効果になることもありますからね。

その結果次第に思うように柔道でも成績を残せるようになっていき、スランプから脱出することができたんだとか。

大学時代に柔道選手としての実力をつけた後、のちに彼女は二度のオリンピックに出場することになります。

オリンピックでの戦績

塚田真希さんは2004年に大学卒業後、綜合警備保障所属の選手となります。

同年開催されたアテネオリンピックでは決勝で先に技ありを取られるも、後袈裟固による抑え込みで逆転し、見事優勝を果たします。

出典:JOC

日本の女子選手が世界大会の重量級で優勝を飾るのは初めてのことだったため、塚田真希さんに対する世間の注目は強まり、同時に期待も高まりました。

2008年に北京オリンピックが開かれるまでにも数々の大会で順調に結果を残していった彼女ですが、本番の北京オリンピックでは残り8秒で背負い投げをされるというまさかの逆転負けという展開になります。

とはいえ、塚田さんは決勝の試合中に相手に寝技を掛けられた際に腕の靱帯を負傷していたため、試合後は腕すら上がらないほどの重症でした。

後のインタビューで、

「気づいた時には負けていた」
「負けても120%の力を出したので達成感はあった」

と語られていますので、相手が一枚上手だっただけだったのでしょう。

普段罵倒してばかりの吉村和郎さんは塚田真希さんが負けた時にはショックを受けていたそうですが、この時ばかりは試合後に労いの言葉をかけていたことが嬉しかったと後にインタビューで語られています。

塚田真希が選手を引退した理由

二度のオリンピック出場を経験された塚田真希さんですが、2010年12月に現役選手を引退することを発表されました。

引退理由としては、「選手として目指すべき目標がなかった」というもの。

目標がないのに選手を続けていても日本代表の座を汚すだけだと感じ引退を決意されたそうです。

プロ意識を感じる潔さで好感が持てますね。

ちなみに大学卒業後の塚田真希さんの戦績はこちら。

  • 2004年:フランス国際3位、アテネ五輪優勝、福岡国際優勝
  • 2005年:フランス国際優勝、世界選手権2位
  • 2006年:ドイツ国際3位、ワールドカップ国別団体戦3位
  • 2007年:フランス国際優勝、世界選手権2位、世界選手権無差別優勝、嘉納杯3位
  • 2008年:北京五輪2位
  • 2009年:選抜体重別2位、グランドスラム・モスクワ優勝、世界選手権3位、講道館杯優勝、グランドスラム・東京優勝
  • 2010年:ワールドマスターズ5位、選抜体重別2位、グランドスラム・モスクワ優勝、世界選手権3位

世界選手権での成績はあまり良くなく、監督からも不調を見抜かれていたそうです。

「目標がない」というのは監督に言われたことで、それが柔道の成績が振るわないことだと塚田さんは気づかされました。

色々問題が多い吉田監督ですが、やはり選手を観察する目は一流ですね。

引退を決意した塚田さんに対して吉田監督は、

もう身も心もボロボロだろ。よくやった

と労ってくれたそうで、これは彼女としても本当に安心したそうです。

普段から暴言を吐くような指導をする吉田監督ですがやはり選手のことは心配してくれていたんですね。

それでも暴言は良くありませんが…。

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塚田真希、現在は監督・コーチとして活動中

塚田真希さんは引退会見時に今後の活動について質問された際、柔道指導者として活動したいと回答されています。

「語学留学を考えている」という発言もされていたので、試合で海外に行ったときも困らないようにしたいという思いが感じられますね。

引退後は世界選手権のやロンドンオリンピックのテレビ放送時に解説員を務められています。

2011年から2013年までの2年間は引退会見時の予告通り、イギリスでスポーツ指導者海外研修員として留学し研修生活を送られていました。

帰国後2014年には東京女子体育大学柔道部の監督に、2016年には自身の母校・東海大学女子柔道部の監督にも就任されました。

現在の塚田真希さんの活動は監督業・コーチ業が中心となっています。

豊富な試合経験や留学などから培われた塚田さんの監督としての力量は期待を裏切らないもので、2021に開催された東京オリンピックでは濱田尚里さんと素根輝さんの2人を優勝に導き、監督である塚田真希さん以来の快挙となりました。

また、2019年に全日本学生柔道体重別選手権で母校である東海大学を優勝に導いています。

これは12年ぶりのことで、塚田さんは「現役時代とは違った喜びがあった」と見守る立場からのコメントをされています。

選手たちの努力はもちろんですが、学生時代に全日本選手権での優勝経験がある塚田さんが監督をされた上での優勝ということもありますので、やはりコーチとしての育成力が素晴らしいのだと思います。

塚田真希は結婚してるのか

柔道の道で活躍されてきた塚田真希さんは現在結婚はされているのでしょうか?

調べてみたのですが、現在のところ結婚はまだされていないようです。

大学卒業後もずっと柔道一筋の生活を送る日々だったことでしょうから、当時から結婚など考えている暇はなかったのかもしれません。

2022年時点での塚田真希さんは40歳。

一般的にはこの年齢まで独身であれば結婚願望を持っている人はあまりいませんよね。

塚田真希さんがメディアで結婚願望について語られたことがありませんので実際のところは分かりませんが、結婚せずともコーチとして忙しい日々を送られているようですし、それほど結婚に重点を置いていないのかもしれませんね。

しいて言うなら、柔道と結婚されているといった状態ですねw

終わりに

以上、塚田真希さんについてご紹介しました。

中学時代から現役を引退した現在に至るまで、まさに柔道生活を送られてきた塚田さん、これからも日本代表の監督として選手を引っ張っていってほしいですね!

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